「ゆるゆる幸福論」とは、そもそも人は幸せになるために生きている、という前提で、幸せとは何か、幸せになるためにはどうすればいいのかという人生の深~~いテーマについて、私の体験談を交えながらゆるくお話しているコーナーです。
あくまで私の考えなので、一般的な解釈とは違う部分もあるかと思いますが、誰かの心を少しでも軽くできて、幸せを感じていただけたらなと思って書いています。
マスミこんにちは、中小企業診断士のマスミです。
前回は、「課題の分離」について掘り下げてみました。
「課題の分離」とはアドラー心理学での考え方で、「それは誰の課題なのか(結果を引き受ける人)か?」を見極め、自分の課題と他人の課題を切り分けて考えることです。
今回はその「課題の分離」の派生として「期待」についてお話したいと思います。
前回の記事はこちら


以前の記事を確認したい方はこちらからご覧ください。
幸せの全体像、記事の構成はこうなっています。


そして「感じる幸せ」の構造はこんな感じです。


- 人はなぜ期待に応えようとするのか
- 期待に応えようとしてはいけないのか
はじめに
前回、課題の分離で、相手の課題と自分の課題(私ができること)について整理しました。
そこで、「期待」についても次のようにお伝えしました。
| 相手の課題 | 自分の課題(私ができること) |
|---|---|
| 期待をする(期待に応えて欲しいという要求) 期待に応えないとがっかりする | 期待に応えたいなら応える。無理して応えなくてもいい。がっかりするかどうかは相手の課題。 |
それについて



期待に応えようと頑張るのはいけないんですか?
と思った方もいたでしょう。
結論からいうと、期待に応えるという行動自体は全く悪いことではないです。
ただ、その目的が何かが重要です。
ここまで読んでいただいた方ならもうお気づきかと思いますが、何でもその行動自体が悪いことではないんです。目的が何かによって、自分を苦しめている要因になっているということです。
以前、「エゴ」についてお伝えしましたが、それと同じです。この期待に応えることもエゴになり得るということです。
大切なのは、「自分が安心して、無理なく、心地いいと思える」状態です。
そう思えていないのであれば、何か苦しい考え方のクセを持っているから、それを書き換えたらいいよね、ということです。
そもそも期待とは
期待とは、はっきり言葉として言われる場合もありますが、言葉になっていない反応や役割を期待されることもあると思います。
例えば、営業で大きな契約をとる商談に向かう際、上司から「期待してるぞ」と言われた時、これは明らかに期待されていますね。
それからよくあるのは、親からの期待です。
私は母の期待をたくさん感じて育ちました。
母は祖父が厳しくて好きな高校にも行けなかったし、大学も行けなかったので、「あなたには行って欲しいの。」と私によく言っていました。
なので、私は母が達成できなかったことを叶えないといけないと思っていました。母の期待をめちゃくちゃ背負っていましたね。
それから、私が5歳の時に母が再婚して、血のつながっていない父親と姉が2人できました。
その時、父と話をするように母から毎日のように言われていました。(毎日じゃないかもしれませんが…それくらいの記憶です)
その時、私は母から「家族」という形をつくる役割を期待されていたと思います。
そんな風に「役割」として期待を受け取っていることもあると思います。
例えば、親がとても心配性で、自分の行動にあれこれ言う親だった場合、心配をかけないでほしいという期待をしている状態です。
親が子供の前で怒ったり泣いたりするようなことが多かった場合、その感情を受け止める役割を子供に期待してる状態です。
こんな風に、「期待」は受け取る側の都合や事情は関係なく相手に渡していますし、たくさん受け取っていると思います。
もちろん自分自身も誰かに期待をしていると思います。
こう言ったらこう返ってくるだろう、とか、それが他人と同じ基準ではないと分かっている人でも、社会ルールや常識的なコミュニケーションの中での期待はあると思います。
ですから、人と関わる以上「期待」はずっと関係してくるものです。
だから、この「期待」と上手く付き合わないと、自分の人生を生きられなくなってしまったり、自分を犠牲にしてしまって苦しくなってしまうことがあります。
期待に応える目的は?
相手の期待に応えようとする時、いったん立ち止まり考えてみてください。
「期待に応えなければならない」と思っているのか「期待に応えたい」なのか。
よく分からなければ「本当はどうしたい?」と聞いてみてください。
前者だった場合、本当はあまりしたくないことなのに、相手に期待されているから応えようとしていませんか?
なぜ自分の意思に沿わない期待に応えようとするのか。
それは相手からがっかりされたくない、期待に応えられない自分になりたくない、という自分を守る理由があるのではないでしょうか。
ではなぜ自分を守ろうとするのか。
もうお分かりですね。
それは自己価値の土台が「他者承認」になっているからです。
自分の価値は他者の承認によって作られていると思っているからです。期待に応えることで他者の承認、評価を得ることができて、自分の存在価値を感じるという構造です。
何度も出てきますが、この右下の図の状態だからです。


ただ、もしあなたが期待に応えなかった時、相手はがっかりして、悲しんで、期待外れだと思うかもしれませんが、他者がどうであろうとあなたの価値は全く変わらないんですけどね。
一方、「期待に応えたい」という感覚の時は、きっと期待に応えることが前向きなモチベーションになっている時だと思います。
自分のやりたいことであったり、ビジョンや価値観に近づくためのものであったり、誰かのためでも、自分を守ることでなく、相手を喜ばせたい、相手を安心させたいという純粋な相手への思いであることが動機になっているはずです。
ですから、期待をすることも期待に応えようとすることもそれ自体が悪いということでは全くありません。
むしろ期待はプラスに働いてモチベーションになる場合も沢山あります。
何度も言いますが、目的はあなたが幸せになることです。
あなたが、負担に感じて苦しくなるのであれば、無理をして相手の期待に応えなくてもいいんだと知ることです。
相手がどんな反応だったとしても、あなたの「私という存在価値」は全く揺らがないからです。
期待と課題の分離
前回お伝えしましたが、無理をして相手の期待に応えないということには、「課題の分離」も関係してきます。
あなたが期待に応えなかった場合に相手がどういう感情になるのかは相手の課題なのです。
がっかりするのか、すごく悲しくて泣くのか、まあいいかとと受け流すのかは相手の課題であり、自分の責任だと思う必要はありません。
もし、相手があなたのせいだと責めたり、もう期待しないと怒るのは相手が課題の分離が出来ていない状態です。
あなたにその人自身の機嫌や幸せを依存しているんです。(依存については別の記事で詳しくお伝えします)
だから、相手がどんな反応でも、自分ができる対処をしたら、後は受け流せばいいんです。だってあなたの課題ではないですから。
相手がどんな反応だろうと知らんぷりをしろということではありません。無理をしない範囲のできる限りのことはする前提です。
ちなみに私の場合ですが、課題の分離ができていなくて、相手の評価や反応にすごく反応していた時のことをよく覚えています。
会社の飲み会でよく機嫌が悪くなる友人がいたんです。
おそらく、自分が会話に入れなかったり、話ができなかったからなのかと思いますが、不機嫌になって黙り込んでしまう人でした。
その友人は「私の分かる会話をして欲しい」「私に話をさせて欲しい」という期待をしていました。でもそれが満たされなかったため、機嫌を悪くするという方法で、他人をコントロールしようとしていたんですね。これがまさに「エゴ」です。
そしてさらに自分の機嫌をとって欲しいという期待をしています。それが他人に自分の幸せを依存している状態です。
当時、その友人を見た私は、



機嫌が悪くなっている、どうしよう、、
と思って話を振ったりしていましたが、一向に機嫌は直りません。
そして、1次会が終了して、その人は帰っていきました。
それで、やっと気楽になって他のメンバーとゆっくり話ができるようになりました。
すごく疲れていました。



どっと疲れが、、、
今思えば、その友人の機嫌はその人の課題なんです。
私がその課題を背負うことはしなくて良かったんです。
ひとまず話を振るくらいはしてもいいですが、それでダメなら放っておけば良かったのです。
勝手に相手の課題を背負って疲れていたということです。
まとめ
ということで、今回は「課題の分離」の中でも少し理解が難しい「期待」についてお話しました。
- 期待に応える「目的」は何か
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相手の期待に応えること自体は悪くない。動機が重要。「本当はどうしたい?」と自分に問い、負担に感じて苦しくなるのであれば、無理をして相手の期待に応えなくて良い。
・「期待に応えなければならない」: 相手をがっかりさせたくない、嫌われたくないという「恐怖」や「自己防衛」が動機。他者承認を土台にした「エゴ」の状態であり、無理をしているので苦しくなる。
・「期待に応えたい」: 相手を喜ばせたい、自分のビジョンに近づきたいという前向きなモチベーションになっている状態。
- 大切なのは課題の分離
-
大切なのは、自分の心が心地よい状態かどうかを確認すること。苦しさや窮屈さを感じたら依存的な期待を背負っている可能性がある。課題の分離を意識して、境界線を引くこと。
期待って奥が深いですね~。
でもこうやって言語化してみると少しスッキリしますね。
次回は、この「期待」とどう付き合っていけばいいのかをお伝えしていきます。



ではまた!
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