「ゆるゆる幸福論」とは、そもそも人は幸せになるために生きている、という前提で、幸せとは何か、幸せになるためにはどうすればいいのかという人生の深~~いテーマについて、私の体験談を交えながらゆるくお話しているコーナーです。
あくまで私の考えなので、一般的な解釈とは違う部分もあるかと思いますが、誰かの心を少しでも軽くできて、幸せを感じていただけたらなと思って書いています。
マスミどうもどうも、中小企業診断士のマスミです。
前回、自己肯定感と自己効力感の違いについてお話していましたが、自己肯定感は色々なところに影響しているので、また話を土台の自己肯定感に戻しますね。
今回のテーマは「自己肯定感」と「課題の分離」との関係についてです。
「課題の分離」とはアドラー心理学での考え方で、一言で言うと、「それは誰の課題なのか(結果を引き受ける人)か?」を見極め、自分の課題と他人の課題を切り分けて考えることです。
私は、アドラー心理学に出会って、この課題の分離を知って、かなり人生が変わったなと思っています。私の実践事例も含めてお伝えしていこうと思います。
自己肯定感の記事はこちら


それ以前の記事はこちらからご確認ください
幸せの全体像、記事の構成はこうなっています。


そして「感じる幸せ」の構造はこんな感じです。


ではさっそくいってみましょう!
- 課題の分離とは
- 自己肯定感と課題の分離の関連性
- 課題の分離の実践事例
課題の分離とは
課題の分離とは、相手の課題を相手のものとして分離し、介入しないことです。
自分がコントロールできることとできないことを意識して、自分は自分の課題(できること)に集中し、後は相手の問題なので変えようとすることや責任を持とうとすることをやめるということです。
その方が、心が疲弊せず穏やかでいられます。
ですから、幸福を感じる体質になる上で「課題の分離」はとても重要な考え方だと思っています。
結局、確実にコントロールできることは「私の行動」だけです。
私がどう行動するかは私が変えられるけれど、相手がどう反応するか、相手がどんな評価をするか、相手がどう受け取るかは全て私がコントロールできるものではなく「相手の課題」になります。
課題の分離と自己肯定感
私たちは日々誰かと関わって生きています。
ですから、誰かに何か言ったり、言われたり、こうして欲しいと思ったり、思われたり、何かしらコミュニケーションをとっているわけです。
そんな中で、相手の反応をとても気にしてしまったり、相手のために頑張らなければと無理をしてしまったり、なんとなくそのやりとりでモヤモヤすることってありませんか?
または、相手の言動にすごくイラっとしたことや、相手を悲しませてしまったことが忘れられないということはありませんか?
それは「自己肯定感」の壁がないこと(低いこと)が原因である可能性があります。
自己肯定感が高い人は、相手の反応をそれほど気にしていません。
何も感じないということではなくて、何かしらの感情にはなるけれど、そのことにあまり長く引きずられないということです。
自己肯定感が高い人は、私の存在価値は「自己」が土台になっているので、他者の反応は「私の存在価値」に影響しないからです。だからそれほど気にせず受け流せます。
これが「課題の分離」です。
相手の感情や、行動、思考は相手の課題、だから私が完全にコントロールできるものではない、こんな思考をいちいち意識せずともしているということです。
そのため、自己肯定感が高い人は、相手の反応に対する恐怖心が少ないので、人目や人の評価を気にして行動できないということが少ないのです。
メンタルが強いと言われる人はこの状態ですね。
一方で、自己肯定感が低いと、相手の反応は「私の価値」に影響を与えます。
他者承認を自己価値の土台にしている状態なので、相手から承認、評価を得ようとコントロールしようとして「課題の分離」がしにくくなります。
前回お伝えしたこちらの右下の図の状態ですね。
相手の課題をなんとかしようとしていると、思い通りにならないことも多く、余計なエネルギーをたくさん使い、すごく疲れてしまいます。




課題の分離とは、相手がどんな反応だろうと気にしない、私は私のことだけ考えてやればいいや、ということではないです。
相手のことを考えたり、その場の空気を読んで行動したりすることはコミュニケーションの上でとても重要です。
私の行動で相手が変わることもありますし、相互に影響を与え合って関係性が成り立っているのはもちろんです。
ただ、必要以上に相手の反応に固執しないことが大切だということです。
なぜならその方が心地よく自分らしく生きられるからです。
そして、何度も言いますが、相手の反応や評価は「私の存在価値」を決めているものではないと認識すること。
他人からどう評価されようと、何を言われようと、あなたの存在価値は揺るぎなくそこに存在していて、あなた自身がそれを認めてあげればいいんです。
課題の分離の実例
では何が相手の課題で何が自分の課題(私ができること)なのかここで整理してみましょう。
| 相手の課題 | 自分の課題(私ができること) |
|---|---|
| 相手の行動 | 行動できるよう促す、説明する、依頼する。相手が行動するかどうかは相手の課題。 |
| 相手の機嫌(怒る、悲しむ、がっかりする) | 相手を不快にさせないような気づかいはするが、最終的にその機嫌を直すことは相手の課題 |
| 心配をする(心配をかけないでほしいという要求) 心配をかけられて怒る | 相手に心配させないようにするかどうかは自分次第。そうしたければすればいいし、したくないならしない。 |
| 期待をする(期待に応えて欲しいという要求) 期待に応えてもらえないとがっかりする、怒る | 期待に応えたいなら応える。無理して応えなくてもいい。がっかりするかどうかは相手の課題。 |
| 「私」に対する評価(仕事や人間性について) | 評価してもらうための行動を意識する。ただし最終的にそう評価するのは相手の課題。 |
| 「私」に対する感情(好きとか嫌いとか) | 好ましい関係になるよう日ごろから行動を意識する。ただし最終的に「私」をどう思うかは相手の課題。 |
こんな風に相手の課題と自分にできることを切り分けていくと、無意識に相手の課題を自分の課題として気にしてしまっていることに気付くのではないでしょうか。
ちなみに私の場合ですが、これだけあれこれ言っている私自身はそんなに「課題の分離」が得意ではないです。
私の土台は、多分今は「自己受容」や「自己承認」でできていると認識しています。だから自分の価値のために他者承認を必要としている状態ではないと思います。
ただ、元々「無条件の自己肯定感」があったわけじゃなくて、自分で理解して自己肯定感を積上げてきたので、他者の批判が「私という存在」に刺さるイメージが抜けていないのかもしれません。
だから、課題の分離は、無意識にできているというより意識的にやっている感じです。
「相手の感情や、行動、思考は相手の課題、だから私が完全にコントロールできるものではない」これを意識的に考えているということです。
何かしようと思うと、一瞬ですが、こんな風に思います。↓
- 自分だけが主催する何かで人を集めたい時に、集まらなかったらどうしようと思う
- 相手が思うような反応をしなかった時に、私のせいなのかと思う。本当は私を良く思っていないのかと疑う
- セミナーのアンケートで批判的なことが書かれていると凹む
- コンテスト系で入賞できなくて凹む
- 食事に誘いたいけど、相手は嫌かもと疑い、断られたら嫌だなと思う
- たくさん話した時、話しすぎて印象が悪くなったかもと思う
- このブログ、誰からも反応なかったら凹む
それをこう考え直しています。
- 別に集まらなくてもいいや、機会を提供したこと、自分ができることをやったことに意義がある。(参加するかどうかは相手の課題)
- 私は別に嫌なことしていないな。相手の反応も私をどう思うかはも相手の課題。だから考えても仕方ない。
- セミナーは私ではない、私がアウトプットしたもの。私への攻撃ではない。
- コンテストの入賞は私はどうにもできないから私の課題ではない。やれることは一生懸命やったからいいや。
- 食事に来るか断るか、私をどう思うかは相手の課題。私の課題は誘うことで完結している。
- 相手が私をどう思うかは相手の課題。たくさん話すのは私らしさでもあるからそれで嫌われるなら別にいいや。
- ブログの反応は考えても仕方ない。書いて公開するだけで十分よくやった。
こんな風に日常的に課題の分離が登場する場面はたくさんあります。
一瞬、上のような不安が浮かびますが、いやいや、と下のように思い直して、行動に移したり、考えることをやめます。
こう思われたらどうしよう、怖いなと思う感情が湧いたとしても、課題の分離を意識して、やろうと思ったことは全部実行しています。
なぜ行動に移せるのかというと、他者の反応や評価は私の価値の土台になっていないのを理解しているからだと思います。だから結果的には相手の反応は怖くなくなっています。
あとは、そういう価値観だから、という理由もあります。
私は「自分の気持ちに正直に生きる」という価値観があります。
いいと思ったことはやる、言う、それが私が私らしくいられることで、自分を好きでいられる条件なんです。
相手の反応を恐れて、自分が傷つきたくなくて、いいと思ったことができないと、それは価値観に反するから、結局後とからモヤモヤしたり、後悔すると分かっています。
だから、こんなこと言ったら変だと思われるかもしれない…とか、余計なことかもしれないとか、怒るかもしれない…などと思う時もありますが、それは全て相手の課題です。
もし私が行動することで、何かプラスになる可能性があることは勇気を持ってやろうと決めています。
その結果、あまり役に立たなかったり、私が傷つくことがあるかもしれないけれど、自分の気持ちに正直に行動できたので、よくやったと気持ちを切り替えることができます。
だから価値観に沿った行動をしているとモヤモヤが減るんですね。
と、ちょっと話は逸れてしまいましたが、私は普段こんな風に「課題の分離」を使っているという話でした。
まとめ
今回は、「課題の分離」と、自己肯定感との関連性についてお話しました。
- 課題の分離とは
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課題の分離とは、「自分がコントロールできること」と「できないこと」を明確に分けること
・自分の課題:自分の行動、発言、思考は自分で変えられる
・相手の課題:相手の感情、反応、評価は完全にコントロールできない。相手の課題には介入せず、責任を持とうとしない方が心が穏やかに過ごせる
- 課題の分離と自己肯定感
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・自己肯定感が高い人: 存在価値の土台が自分にあるため、他人の反応によって自分の価値が揺らがない。そのため、課題の分離がしやすく、相手の反応に固執していない。
・自己肯定感が低い人: 他者承認を価値の土台にしているため、相手の反応をコントロールして「承認」を得ようとする。課題の分離がしにくく、相手の反応に固執して疲れる。
- 課題の分離の実践
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相手の反応や評価が気になったら、「相手の感情や、行動、思考は相手の課題、だから私が完全にコントロールできるものではない」と意識する。
自己肯定感を高める
課題の分離でも、「自己受容」と「自己承認」によって自己肯定感を積み上げていくことが大切ですね。
次回は、今回の課題の分離の中にもあった「期待」をテーマに掘り下げていこうと思います。



ではまた!
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