「ゆるゆる幸福論」とは、そもそも人は幸せになるために生きている、という前提で、幸せとは何か、幸せになるためにはどうすればいいのかという人生の深~~いテーマについて、私の体験談を交えながらゆるくお話しているコーナーです。
あくまで私の考えなので、一般的な解釈とは違う部分もあるかと思いますが、誰かの心を少しでも軽くできて、幸せを感じていただけたらなと思って書いています。
マスミこんにちは。中小企業診断士のマスミです。
前回は導入編としてそもそも幸せとは何かについてお伝えしました。
今回は、「感じる幸せ」の土台も土台、無条件の自己肯定感についてお話していきます。
前回のお話はこちら


幸せの全体像、記事全体像はこんなイメージです。


無条件の自己肯定感があるかないかでそれ以外の要素にめちゃくちゃ大きな影響があります。
ということで、今回はその「無条件自己肯定感」についてお話していきます!
- 無条件の自己肯定感とは何か
- 無条件の自己肯定感を持つには
無条件の自己肯定感とは
無条件の自己肯定とは、自分が何ができるからとか、他人の役に立っているからとか、そういう「条件」を満たしていなくても愛される存在だと認識している状態です。


「感じる幸せ」の構造の中で最も下の部分ですね。
この、条件なしの自己肯定感を言語化するのがとても難しいのですが、、
「わたし」という存在が、ただ生きているだけで価値があり、他人もそれを認めていると認識している状態です。
例えば、知り合いの誰かが事故にあったとして、生死を彷徨っていたけれど一命をとりとめた時、ただ生きててくれたことがありがたい、そんな感覚になりますよね。
その知人が私のために何かしてくれていなくても、生きていただけで良かったと思います。
生きていてくれただけで心が救われたという状態です。
だから私が生きていることをありがたいと思う人もいます。
他人の役に立つ行動ができていなくても、その存在に意味がないということはないんです。
私が生きてて良かったよね。当たり前にみんなそう思うよね。私は愛される価値がある、みんな私が好きでしょう、くらいの感覚でいいんです。
そんな風に思っていなかった人は驚くかもしれませんが、そうやって生きている人がいるんです。メンタルの強い人ってこんな感覚です。
根拠はなくていいんです。条件なしにそう思っていいんです。
無条件の自己肯定感はどうやってできるのか
私の想像ですが、おそらくこの無条件の自己肯定感は、幼少期に「無条件の愛情をもらっている」と認識して育つと自然と持っていると思います。
大事なのは、そう認識して育ったかということです。
実際は条件などなく存在を愛してくれた人はきっといるはずです。
生まれた瞬間を思い浮かべてみてください。みんなあなたが産まれただけで大喜びです。無条件に愛されているのです。
でも、そう認識できたかどうかは誰とどんな関係だったかや環境によって変わると思います。
身近に、どんな時でも「あなたは素晴らしい!」「かわいいね!」「すごいな~!」などとにかく肯定しまくってくれる人がいた場合は、当たり前に自分は愛される存在なんだと認識していると思います。
ただ、期待に応えているから愛されているんだとか、誰かの役に立っているから愛されているんだなどと、「条件付きの愛情」だと認識して育った人も多いのではないでしょうか。
きっかけは些細なことかもしれません。
弟や妹が生まれて、親の愛情がそちらに向かい、寂しかった。でも親を助けて弟や妹の世話をすることで親の関心が自分に向いて愛されていると感じた、とか。
この場合、親を助けることで愛情を得られる=人を助けないと愛されない、というような考えになったりします。
長男や長女は自分の存在価値を確立するために人の役に立とうとしてしまうことはよくあるんじゃないかなと思います。
私の場合、もちろん無条件の自己肯定感など認識していなく、条件バリバリでした笑
私は、0歳で母が離婚し、5歳で再婚、また15歳で離婚、、という環境で育ちました。
私が5歳の時の再婚で、母は「家族」という形を作るために努力していたと思います。姉とも積極的に話して、「母親」になっていました。
でも父は私に話しかけることはなく、姉2人と私を明らかに区別していたと記憶しています。
だから、私は母から、「お父さんと話しなさい」とよく言われていました。
でも私は姉と態度が違う父が好きではなかったので、話したくありませんでした。
今思えば、父が努力していないのが良くないと思うのですが、当時の私は何の疑問もなく、父と話ができていない私は与えられた役割を果たしていないという感覚を持っていました。
家族の形を保つのは私の役割で、それを果たさない自分はダメだ、価値がないと思っていたと思います。
ただ、5歳までの環境が祖父母と叔母と母という大人たちの中で子供ひとりだったので、その時はのほほんとしていて愛されていたと思います。ですので、その頃の感覚は土台にあったのかなとは思います。
子供が「自己」を認識し始めるのが10歳くらいと言われているので、その時にどう認識していたかが大きく影響するようです。
ということで、この経験だけではありませんが、その後も私は条件付きの存在価値という感覚ができあっていき、「無条件の自己肯定感」を持たずに成長したわけです。
無条件の自己肯定感を持てたかどうかは、幼少期の環境に影響を受けるので、自分ではどうしようもない場合が多いと思います。
要は、人生のモードを「ハードモード」に設定されたようなものです。
自分でモードを選べないので、設定されたハードモードをクリアする(=幸せを感じられる)かどうかは自分次第です。
私も「ハードモード」でスタートしましたので、様々なところでつまずきました。
ただ、幸いだったのは「私ってなんなんだろう」という好奇心が強かったことです。
そのため、なぜ今私はこうなんだと常に湧き上がる感情の理由を見つけようとしてきたんです。理由を見つけると、考え方の書き換えができるようになります。
そうやって、苦しい思考を変えることで、今はとてもラクに生きられるようになりました。
今はこの無条件の存在価値も認識できていると思います。
沢山つまずいたので、どうやったらつまずいても立ち上がれるか、どうやったらもっとラクな道を進めるかを説明できるようにもなりました。
それでこうしてブログとしてまとめているわけです。
ですから、「自分はハードモードだな」と思った人も大丈夫です。ここに攻略本を置いておきます笑
「ゆるゆる幸福論」とは、私と同じように「ハードモード」でスタートした方が、何十年もかけて自力で攻略しなくてもいいように、私が何でつまづいて、どうやって攻略したかをまとめたものです。
ですから、それをヒントに攻略していってください。その方が人生長く幸せでいられますから。
無条件の自己肯定感を持つには
もし今、自分は無条件の自己肯定感がよく分からないなと思ったら、あなたが何をしなくても、「生きててくれてありがとう」と思っている人がいると知ってください。
そして、あなたが幸せでいることで幸せになっている人がいるんだと知ってください。だから自分の幸せのために生きていればいいんです。
当たり前に、あなたの周りの人はあなたの敵ではなく味方で、基本的にあなたのことが好きなんだ、そう思ってください。
そしてあなたが期待に沿わない行動をしても、あなたの行動や考えについて意見を言う時があっても、その存在を否定しているわけではない、そんなレベルの話ではないんだと認識してください。
もうこれだけです。
みんなそんな感覚で生きています。
当たり前に、何もしなくてもあなたは愛される価値がある。「みんな私が好きだよね。」これでいいんです。
まとめ
ということで、「無条件の自己肯定感」についてお伝えしてきました。
- 無条件の自己肯定感とは
-
無条件の自己肯定感とは、何か(仕事、役立ち、能力など)ができるから自分を認めるのではなく、「ただ生きているだけで価値があり、愛される存在である」と認識している状態。
- どうやって作られるのか
-
無条件の自己肯定感は、幼少期の環境や「どう認識して育ったか」が影響する
無条件の愛情: 「どんなあなたも素晴らしい」と肯定され続けると、自然と備わっている。
条件付きの愛情: 「親の期待に応える」「下の子の面倒を見る」など、特定の役割を果たすことで愛情を認識していた場合、「役に立たないと価値がない」という思考回路になりがち。
- 無条件の自己肯定感を持つために
-
①生きてるだけで誰かの救いとなっていると認識する
あなたが何もしなくても「生きていてくれてありがとう」と思う人が必ずいます。②周囲は味方だと思い直してみる
基本的に周りの人は敵ではなく、あなたの幸せを願っている人だと思っていいんです。③否定されても「存在」への否定ではないと理解する
誰かがあなたの行動に何か言ったとしても、「あなたの存在価値」を否定しているわけではありません。あなたの存在価値は変わりません。
感覚的なものなのでうまく説明できていないかもしれません。
そしてあくまで私の解釈なので、実際はそんなものでもないのかもしれません。
ただ、今この話がよく分からなくても全然問題ないです。
この後、自己受容や自己承認、積上げる自己肯定感についてお話しますが、その中できっと分かるようになると思います。
では、次は「自己受容」についてです。
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