「ゆるゆる幸福論」とは、そもそも人は幸せになるために生きている、という前提で、幸せとは何か、幸せになるためにはどうすればいいのかという人生の深~~いテーマについて、私の体験談を交えながらゆるくお話しているコーナーです。
あくまで私の考えなので、一般的な解釈とは違う部分もあるかと思いますが、誰かの心を少しでも軽くできて、幸せを感じていただけたらなと思って書いています。
マスミこんにちは、中小企業診断士のマスミです。
前回、前々回と、「期待」について掘り下げてみました。
今回はその中で少し触れた「依存」についてお話したいと思います。
前回の記事はこちら


以前の記事を確認したい方はこちらからご覧ください。
幸せの全体像、記事の構成はこうなっています。


そして「感じる幸せ」の構造はこんな感じです。


- 依存とは何か
- 期待と既存の関係性
- 依存との付き合い方
期待に潜む「依存」
前回少しお話しましたが、誰かに期待をする時、相手に自分の機嫌や幸せの責任も押し付けていることがあります。それが他人への「依存」です。
依存しているというのは、自分で自分を幸せにできない状態です。
依存は相手の自由を奪ってしまうことがあるので、注意が必要です。
依存された側は、その人を幸せにしないといけないと感じて自分の行動を相手に合わせると、不自由さを感じて苦しくなります。
こう言うと、自分のことは自分で幸せにすればいいのに、相手に合わせなければいいのにと思うでしょう。
でもね、意外と「依存」している、されていることって多いんです。
特に、自己受容、自己承認の土台が不十分な人が陥りやすい状態です。
結局はそこになるわけです。
だから、ラクに生きるには、
- 他者に自分の幸せを依存しない
- 期待や依存を感じても無理に応えない
これがめちゃくちゃ大事です。
具体的にお伝えしていきますね。
***
前回の記事で、私は母からとても期待されていたとお話しました。
母は好きな高校にも行けなかったし、大学も行けなかったのであなたには行って欲しいの。とずっと言われていました。
私は母が達成できなかったことを叶えないといけないと思っていました。母の期待をめちゃくちゃ背負っていました。
これって、母の「期待に応えなければ」も「期待に応えたい」も両方あったと思います。
だから、それほどプレッシャーを感じていたわけでもないのですが、どこかで私の願いではない感はありあました。
大学に合格した時、すごく達成感がありました。
そしてそれと同時に思ったのです。



もういいよね
と。
母の望みは叶えたから、もういいでしょうと。
そして、その後、結局やりたいことが分からなくなって、大学は辞めることにしたんです。
そう決めた時、やっと自由になれたと思いました。
その時のイメージを今でも鮮明に覚えています。
ずっと母の敷いたレールの上を歩いてきて、そのレールを降りた。そんなイメージです。
だからもう諦めてくれる。私は自由だ、そう思いました。
大学を辞めたいと母に伝えた時、母は号泣したそうです。「そうです」というのは、私は覚えていないんです。
母を悲しませることをしたので記憶から消したのかもしれません。
私にも娘がいますが、親として、母が泣いた感覚が分かりません。娘が学校を辞めたとしても、そうなんだ、学費が浮いたなくらいにしか思わないからです。(ひどい笑)
ただ、理由は分かります。
母は、自分の幸せを私に依存している状態だったからです。
私がいい大学に入って、卒業して、安定した会社に入る。それが母の幸せだったのでしょう。
だから、私が大学を辞めることは、母の幸せが叶わなかったと感じて悲しかったのでしょう。
母の幸せは、「私が幸せでいること」ではなく、「母の理想とする私でいること」なんだと思います。
ちょっと悲しいですけど、母が私をどう思っていてもそんなに気にならないです。私は私が幸せだと思うことをするだけなので。
母は幸せの土台が他者承認になっていると思います。
母も「無条件の自己肯定感」を持たずに育ったのでしょう。
「私(他者)が母の理想とする人生を送ること=母に対する承認」になっているのだと思います。
だから、私の行動が母の幸せを左右しているのです。全てではないでしょうが、母の幸せの構成要素ということです。
これが、自分の幸せを他者に依存するということです。
なんか重くなりましたね。とりあえず笑っておきましょう。



わ~はっははははは
こういう依存は親子関係に多くて、それによって自由を制限されてしまっていることがあるんじゃないかと思います。
仲がが悪いわけではなく、むしろお互いに相手を思う気持ちがあるので、気付きにくいんですよね。
でもお互い苦しくなってしまうので、「依存」をしない、「依存」を負担にしないよう自己肯定感を高めるということが大切だと思います。
共依存とは
依存の話になったので、「共依存」についても説明しておこうと思います。
「共依存」とは、お互いに依存をし合っている状態のことをいいますが、以下の2つの役割で成り立っています。
| 依存する側 | 支える側 |
|---|---|
| 自分の弱さを見せて相手をコントロールしようとする。相手に世話をさせてエゴで相手を縛ろうとする。相手に自分の機嫌、幸せを依存している状態。 | 相手の期待に応える、課題を解決する、世話を焼くことで「自分は必要とされている」という感覚になり、自分の価値を守っている状態。 |
| ・感情的になって泣く、落ち込む ・傷ついたと主張する、自己否定をする ・無理をして心配をかけさせる ・自分の不幸を主張して同情を誘う ・無視や連絡を絶つことで不安にさせる | ・相手の機嫌を取ろうと過剰に気を使う ・自分を後回しにして相手に尽くす ・無理をして相手の要求に応える ・相手を理解できるのは自分だけだと思う ・相手を変えようと過剰な干渉をする |
この状態、一見問題があるのは「依存する側」に見えますが、両者ともこれらの動機は「自分の価値を守るため」のエゴです。
支える側は、自分がこの人を支えているんだ、自分がいるからなんとかなっているんだと思うことで自分の価値を認識しているからです。
まさに需要と供給がかみ合っている状態なので、これでいいんじゃないかと思うかもしれません。
でも、どちらも、自己価値の土台が「自己受容」や「自己承認」ではなく「他者承認」になっているため、とても不安定で安心して幸せを感じられる状態ではないのです。
私と母の事例で言うと、私に期待をする母は依存する側、期待に応えることで自分の存在価値を認識していた私は支える側に近いかと思います。実際は母の期待に完全に応えていたわけではないですが。
ですので、「期待に応えることが自分の使命なんだ。」でもなんだか何かモヤモヤするなとか、「自分が〇〇さんを支えているんだ、自分じゃないとダメなんだ」そう思って自分を後回しにしていると感じた方は、この共依存の状態になっているかもしれません。
抜け出すには、共依存かもしれないと気付くこと。そして相手と自分の境界線をしっかり引くこと=課題の分離を徹底することです。
これまたなんか重くなりましたね。とりあえず飛び跳ねておきます。



うっひょ~~い
自分の機嫌は自分でとる



自分の機嫌は自分でとれ
とよく言われますよね。
これって、機嫌が悪くても態度に出さないこと、怒らないことということではないと思うんですね。
自分の機嫌を相手に依存するなということだと思います。
例えば、パートナーに対して、私の機嫌が悪いのは相手のせいだと思っている場合です。
相手にこういう人でいて欲しいという期待をしていて、それを叶えてくれなから私は幸せになれないと思ってるのも相手への「依存」ですね。
「私の機嫌」や「私の幸せ」が相手次第になっているのを「依存」というのです。
もちろん、お互い不満が全くないことなどないので、思ったことは言えばいいです。我慢しろという話ではありません。
夫婦間の問題について相談された時、じゃあどうしたらいいと思いますか?と聞くと



夫が変わるしかないです。夫がもっと家事をやってくれれば解決します。
のような考え方の人もいると思いますが、これ依存なんです。
要は全部他人のせいです。
会社にもこんな人いませんか?
不満や問題があったら、自分の考えや気持ちを伝えないと何も始まらないので、話した方がいいと思います。そこで相手の事情や考えを聞き、じゃあどうするかを考えればいいですよね。
その時に、自分は変わらない前提で、私の不満はあなたのせい、あなたが変わるべきという考えが依存です。
誰かの行動や出来事はただの事実であり、それを問題や不満としているのは「自分」なんですよね。だから「自分」が変われば問題も不満もなくなる可能性はあるんですが、全てを相手のせいにしているわけです。
自分の機嫌や幸せが相手次第になっている(相手に依存している)人は「相手が自分の思い通りに行動すること=自分の価値を承認する」という図式になってしまっています。
自己価値の土台が他者承認になっているんです。
だから、トゲトゲのエゴで防御態勢になっているのです。
自分が依存しているなと自覚した場合は、コツコツ自己肯定感を高める努力です。自分を責めずに、それでもいいよと認めてあげてください。
相手が依存しているなという場合は、条件無しの愛情を認識してもらうところからだと思いますが、本人がそのつもりがないと難しいので、周りができることは、小さな承認を積み重ねてあげることです。
日々ありがとうという感謝の気持ちを伝えたり、関心を向けてあげることで存在自体に価値を感じることができるようになっていくと思います。
ただし、あなたが無理をしすぎては意味が無いので、やはり「課題の分離」を忘れずに。相手が変わるかどうかは相手の課題です。
まとめ
ではまとめです。
「依存」ってすごく重いテーマでしたね笑
でも、あらゆるところに潜んでいて、なんかモヤモヤするんだよな、の原因になっていることが多いです。
ですから、知識として「依存」を知っておくことはとても重要だと思います。
- 期待に潜む「依存」
-
誰かに過度な期待をする時、自分の幸せの責任を相手に押し付けてしまうことがある。
期待は、相手の自由を奪うだけでなく、自分自身も常に「相手次第」でしか満たされなくなり、苦しい。 - 共依存とは
-
依存する側:自分の弱さを見せて相手をコントロールしようとする。相手に世話をさせてエゴで相手を縛ろうとする。相手に自分の機嫌、幸せを依存している状態。
支える側:相手の期待に応える、課題を解決する、世話を焼くことで「自分は必要とされている」という感覚になり、自分の価値を守っている状態。
需要と供給が成り立っていて気付きにくいが、どちらも他者承認が土台で、不安定で幸せにはなりにくい。
- 自分の機嫌は自分でとる
-
「自分の機嫌は自分でとる」とは自分の機嫌や幸せを相手の行動次第(依存)にしないこと。
依存は自己価値の土台が他者承認になっていることが考えられるため、自己肯定感を高めることで抜け出せる。
依存されていると感じたら、相手を承認してあげることも大切だが、課題の分離を意識して変わるかどうかは相手次第と境界線を引くことも必要。
次回は、ちょっと話は変わり、自己承認の時に少し触れていた「メタ認知力」について掘り下げたいと思います。
「仕事ができる人」を言語化したかなり面白い内容になっていると思いますので、お楽しみに!



ではまた!
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