「ゆるゆる幸福論」とは、そもそも人は幸せになるために生きている、という前提で、幸せとは何か、幸せになるためにはどうすればいいのかという人生の深~~いテーマについて、私の体験談を交えながらゆるくお話しているコーナーです。
あくまで私の考えなので、一般的な解釈とは違う部分もあるかと思いますが、誰かの心を少しでも軽くできて、幸せを感じていただけたらなと思って書いています。
マスミどうもどうも、中小企業診断士のマスミです。
今回のテーマは前回お話していた「期待」についてさらに掘り下げ、どんな風につきあっていくと幸せでいられるかを話していきたいと思います。
前回の記事はこちら


以前の記事を確認したい方はこちらからご覧ください。
幸せの全体像、記事の構成はこうなっています。


そして「感じる幸せ」の構造はこんな感じです。


- 期待を感じた時の対処法
- 期待に応えてもらえなかった時の対処法
他人からの期待との付き合い方
自分が自分らしく自分の人生を心地よく生きるためには、どんな風に他人の期待と付き合えばいいのか。
私はこんなことだと思っています。
- 期待に応えなくても「私の価値」は変わらないと認識する(自己肯定感を上げる)
- 本当はどうしたい?を問い続ける
- 無理をして期待に応えて欲しいわけではないと認識する
- 価値観を明確にする
それぞれ見て行きましょう。
期待に応えなくても「私の価値」は変わらないと認識する
まず大前提として、他人の期待に応えなくても、あなたの存在価値は全く変わりません。
ただ、「期待に応える(求められる役割を担う)=愛情を受け取る」という図式ができあがってしまっている人もいます。
以前の私のように、子供の頃に親からの愛情と期待を同時に受け取った場合、愛されるためには期待に応える必要があるという認識を持ってしまうことは多いんです。
ですから、そうじゃないんだと知ってください。
がっかりされたくない、期待に応えられない自分が嫌、期待に応えないと評価されない、というような、期待に応えないことで起こるネガティブな状態を避けるために無理をする必要はないんです。
そして愛情を受け取ることは自分を犠牲にすることでも、自由を失うことでもないです。
自分の価値はもうすでにそこにあるものであり、何もしなくてもあなたは愛される価値があります。
自分の感情を犠牲にしなくても、自由を我慢しなくても愛情を受け取っていいんです。
その認識を持つためには、「自己受容」と「自己承認」で自己肯定感を積み上げることが重要です。
具体的な方法はこちらの記事をご覧ください。
本当はどうしたい?を問い続ける
何度もお伝えしていますが、期待に応えようとすること自体が悪いことでは全くありません。
本当に自分が望んでいるかどうかが重要です。
望んでいないのに期待に応えていると疲れますし、相手に合わせて何かよくないことが起こった場合、相手のせいにしてしまいがちです。
私の場合、結婚していた時、毎日ご飯を作るのが面倒で嫌でした。でも作らなければならないと思って無理して作っていたんです。
ただ、当時の夫から「手作りして欲しい」と言われたことは1度もなかったです。
ご飯を作らなければ嫌われるとも思っていないです。ただ自分で許せなかったのです。
要は、「お弁当やお惣菜を買ってくるご飯を作らない私」が許せずに作らなければならないと思っていたんです。
それなのに



何故私は毎日ご飯を作らなければならないのか、夫はなぜ「ご飯用意しなくていいよ」と言ってくれないのか
と思ってイライラしていました。
これ、何の期待なのかというと、夫からの「ご飯を用意して欲しい」という期待と、私自身で「私はご飯を手作りしているちゃんとした妻でいたい」という期待が合わさった状態です。
それが合わさって、「私は毎日ご飯を手作りしなければならない」という期待にし、やりたくないのに無理してやっていて、夫のせいにしてイライラしていた訳です。
その後どうなったかというと、私のイライラが爆発した時がありました。
そうしたら夫は「別に何でもいいんだよ。お弁当でもお惣菜でも」と言いました。
でも私はそんな夕食を出す私が許せず、結局作り続けました笑。
自己受容できていなかったんですね。そんな自分を受け入れられなかったんです。
こんな風に自分で自分に期待をしてそれに縛られていることもあります。
自分で「ちゃんとしないといけない」というハードルを作り、それに応えようとしていたのは、自分は正しい、自分は完璧に求められる役割をこなしているから価値があると証明したかったのだと思います。
それで今は、私は私に「ちゃんとした人」という期待をやめました。ちゃんとしていない自分を受け入れました。
今ひとり暮らしですが、ご飯はほとんど作りません。
娘と一緒に暮らしていた時も、作りたくなければ作っていませんでした。
ひとりだからというのもありますが、もう「ちゃんとしないと」という気持ちはなく、やりたくないことはやらなくてもいいと思っています。
このように、役割として当たり前だからやらないといけないということも、「本当はどうしたい?」と考えてみると、本音がでてきたりします。
無理しているなら止めることを考えてもいいんです。
そして大事なのは、期待されることが「できない」ではなく「やりたくない」という理由でやらなくてもいいと知ることです。
「期待=応えるもの」という条件反射をやめることです。
だから、面倒でも、いちいち本当はどうしたい?と考えることは重要です。
そうして本当の気持ちに気付き、やりたいことなのか、やらなければならないことだと思っているかの区別できるようになります。
無理をして期待に応えて欲しいわけではないと認識する
「期待=応えるもの」と思って生きていた私ですが、以前付き合っていた人から言われたことで、そうではないんだと気付いた瞬間があります。
その人はとても「期待」の多い人で、これしたい、こうして欲しいと私にたくさん要求をしていました。
当初、多少無理してでも応えていたのですが、ある時、



なぜそれを私に頼むの?
と聞いたことがあったんです。些細なお願いごとです。
そうしたら、「え?嫌だったの?」と聞かれました。
その時、嫌ではないけど…と言いかけましたが、頼まれる理由を知りたいと思うこと自体、きっと嫌だという感覚があったなと気付きました。
それで、「そうかもしれない。」と答えたんです。
そうしたら怒られました。



なぜその時に嫌だと言わないの?無理して欲しいなんて思ってないんだけど。
と。
びっくりしました。
嫌なことを頼んでごめんねと言ってくれると思っていたからです。
そもそも、出来ることは断る選択肢がないと思っていたので、嫌なことを頼む方が悪いと思っていたんです。
咄嗟に、



いやだって断れる雰囲気じゃないし...
と思ったのですが、なぜ断れる雰囲気じゃないと思ったのかというと、揉めたくない、私が我慢すればいい、期待に応えられない人になりたくない、などという感情があったからだと気付きました。
それに、その人が言っていた、「無理してほしいと思っていない」ということに妙に納得したんです。
確かに。
私も相手に無理して合わせて欲しくない。そう思いました。
それで、そうか、期待されても(要求されても)応えないという選択肢があるのか、と気付いたんです。
それ以来、先ほどの「本当はどうしたい?」を毎回問うようにしました。
すると、驚くほど「わからない」のです。
私は「本当はどうしたい」かも考えずに相手の期待を感じたら反射で応えていたからです。
私は今まで自分の感情を無視していたんだと気付きました。
そして、その「本当はどうしたい?」を繰り返すことで
①やりたくない
②そんなにやりたくないけれど、相手が喜ぶならやってもいい
③これは私もやりたい
この3つの感情があることが分かりました。
そして、①のやりたくない時はそう言うようにしました。
そうしたら、とても自由になった気がしました。
ただ、めちゃくちゃ言い方も言う状況も考えていましたが笑
ただ断るのではなく、私のことを考えてくれたことは嬉しいとか、なぜやりたくないのかとかできるだけ事情を話すようにしていました。
そんな面倒なことをするなら断らずに期待に応えればいいんじゃないかと思うかもしれません。
それでモヤモヤしない人はそれでもいいと思います。
私の場合は、やっぱりやりたくないことを相手に合わせてやっていると、モヤモヤするんです。
そして無理して合わせていると、私の感情の自由を奪う相手として相手が嫌になります。
自由でいたいという価値観に反することになるからです。
だから、好きな人ほど、無理をしないで正直に思っていることを伝えるようにしています。
相手も私が無理をすることを望んでいないでしょう。という信頼の元です。(それで言いたい事を言いすぎだと思われて嫌われたとしても仕方ないです。課題の分離です。)
まあそれは私の価値観なので、実際に期待に応えるかどうかは自分の気持ち次第で決めていいとは思います。
価値観の押し付けから自分を守る
期待に応えることの最上位って何だと思いますか?
私は「価値観」を同一化させることだと思っています。
誰かにとって、一番居心地がいいのは自分と全く同じ価値観の人だと思います。
なんとなく分かりますよね。自分と全く同じ価値観の人がいたら、すごく居心地がいいし、付き合いやすいですよね。
だから人は「価値観の押し付け」をすることがあります。親しい人ほど価値観を押し付けて、こうなって欲しいという期待をしてきます。
それは一見価値観の押し付けには見えません。
こういう時はこうすべきだというアドバイスだったり、そんなことしたらこうなるからという心配だったり、「あなたのためだから」という仮面を被って言ってきます。
もちろん、本当にあなたを思ってのアドバイスもあります。
それは自分が心地よく聞けたかどうかで判断できます。純粋なあなたのためのアドバイスは窮屈に感じません。
アドバイスのようなのに、窮屈に感じたら、無理をして合わせる必要はありません。あなたの価値観とずれているからです。
相手があなたに言っているのは「私のために変わってよ」ということです。
少しやっかいなのが、その相手を自分が好きな時です。
相手を好きだと、この人から愛情を受け取りたい、評価されたいと思いますよね。
そうすると、相手の価値観と同一化させることを無意識にしてしまう場合もあります。
前回の記事の私と母のようにです。
身近な親とか家族、恋人やすごく親しい友人ともあると思います。
※相手と自分の価値観が似ている、同じものがあった、ということも十分あり得るので、その場合は全く問題ないです。
本来は自分の価値観と相手の価値観は違うのに、相手との関係を保つためや愛情を受け取りたいという気持ちがあり、相手の価値観を基準に行動をしてしまうことがあるということです。
私が母の期待に応えるために生きている、母の価値観と私の価値観は違うんだと理解したのは、会社を辞める時です。
だいぶ遅いですよね。でもそれほどまでに気付きにくいんです。
会社を辞めたいと考えた時、ひっかかっていたのは、「せっかく安定した会社に入ったのにもったいないのではないか」という考えでした。
じゃあ、辞めたらどうなるかと考えました。
その時、「母が悲しむな」という考えが浮かんだんです。
ふと、じゃあ母がいなかったらどうするか想像しました。
すると、何の迷いもなく辞めるな。と思いました。
もし辞めて収入がなくなって困ったら、どこかで何でもいいからバイトすればいいかという考えでした。
そこで気付きました。
「せっかく安定した会社に入ったのにもったいない」というのは母の考えだったのです。
私自身は、安定した会社に大した価値も感じていなかったし、リスクがあっても自分がやろうと思うことのために行動することの方が大切だと思っていました。
そんな風に、身近な大切な人の価値観は、自分の価値観の一部と認識してしまうことがあるのです。
私が会社を辞める時に安定した会社を手放すのが惜しいと感じていたようにです。それは母の価値観でした。
母もそんな影響があると思って私にあれこれ言っていた訳ではないと思いますが、そんな風に影響を与えることもあるということです。
ということで、なぜ無理をして期待に応えようとすることが良くないのかは、自分の人生を生きられなくなるからです。
他人の期待を感じ取って、条件反射的に応えていると、自分らしさを失い苦しくなるからです。
その場合、やはりなんとなく窮屈に感じているはずです。
なので、大事なのは自分の感覚なのです。
相手の言っていることを聞いて、窮屈に思っていない?本当に自分がしたいこと?それは自分らしいのか?という問いをしてみます。
その結果、もし自分のやりたいことと違ったら、違う価値観が出てきたら、自分の価値観を優先していいんです。
なので、自分の価値観を明確にすることがとても重要なんです。(価値観を明確にする方法は後ほど)
相手はあなたが自分と同じ価値観を持っていると思って期待していた場合、きっと悲しむと思います。がっかりするでしょう。
でも、ここを切り離さないと自分の人生を歩めなくなります。その人の幸せを自分が背負ってしまうことになるんです。それが自由を奪い、心の負担になります。
だから、自分の価値観を明確にして相手との違いを認識し、自分の価値観を大切にする。
相手が悲しむのも、「私」に幸せを依存しているもの相手の課題として分離すること。
それが自分らしく、自分の人生を歩む上では大切です。
※悲しむ相手を知らんぷりしろということではありません。誠実に向き合ってお話をして理解してもらいましょう。
他人への期待との付き合い方
では次に、誰かに対して自分が期待をする時のことについて話したいと思います。
誰かに期待をしていたけれど、期待通りのリアクションが返ってこないと、腹が立ったり、イライラすることってありますよね。
相手の反応は相手の課題なので、私がコントロールすることはできないのですが、それにしても一般常識としてありえないとか、仕事上でそれはない、などということもあると思います。
そんな時どうするか。
私は、他人への期待は、買い物のようなものだと思っています。
私はお肉屋さんに行ってお肉を買おうとしている。でも売り切れだと言われた。これが相手が期待に応えなかった時の状態です。
私が欲しいものを売っていなかったのです。
じゃあどうするか。
他の店に行けばいいですよね。
ただそれだけです。



なんで売っていないの!さっきまであったじゃない!
と言っても仕方がないのです。
それに、そもそもその店はお肉屋さんではなかった場合も考えられます。
八百屋に行って、



サーロインちょうだい
と言っている場合もあります。
いや、そもそも八百屋なので売っていないのです。
なぜできないの!と責めたり、期待外れだった、じゃあもういいよと突き放したりするのは
八百屋で



なぜ肉を売ってくれないの!もう買いにこないわよ!
と言っているのと同じだと思うんですね。
その店が八百屋だったら野菜を買えばいいのです。
相手が売っているもの(提供できるもの)が何なのかを判断して、買えるもの(提供できること)だけ受け取る。
そうやってたくさんの店で買い物をすればいいだけではないかと思うのです。
何も一つの店で全部を揃える必要はなんです。
これは逆も然りです。
無理に期待に応えようとするのは、自分は八百屋なのに、



サーロインちょうだい
と言われて、どうにかサーロインを探し回っているようなものです。
そうではなく、



うちは肉は置いてないよ。野菜しかないんだよ。
と言えばいいんです。
それで相手が



なんで売ってないの!あなたが売ってくれなければごはんが食べられないじゃない!
と言っても、ないんだから仕方ないですよね。
だから肉屋のふりをして探し回らなくてもいいんです。
たまに大きなデパートやスーパーの人(たくさん期待に応えられる人)もいますが、要は相手が売っているものだけ買えばいいということです。
そしてどこで何を買うかはあなた自身が決めることが大切です。
ひとつの肉屋で全部揃えようとして、揃わなかったから私はごはんが食べられないというのが、肉屋に依存している状態です。(=他人に自分の機嫌や幸せを他者に依存している)
そうではなく、肉屋では肉を八百屋では野菜をというように、自分でどこで何を買うかを決めてごはんを用意するんです。
それが自分の機嫌は自分でとり、幸せの責任を自分で負っている状態です。
ということで、だいぶお買い物の話になってしまいましたが、他人への期待とは私はこんなものだと思っています。
まとめ
ではまとめです。
自分が自分らしく自分の人生を心地よく生きるために、期待に対しては以下のことが大切です。
そうすることで、他人の言動に左右されず心穏やかに生きられます。
- 期待に応えなくても「私の価値」は変わらないと認識する(自己肯定感を上げる)
-
・「期待に応えること=愛される条件」ということではない
・愛情を受け取るために自分を犠牲にしたり、自由を我慢したりする必要はない - 本当はどうしたい?を問い続ける
-
「期待=応えるもの」という条件反射をやめ、いちいち自分の本音を確認することが重要
自分への過度な期待が自分を苦しめていることもある
- 無理をして期待に応えて欲しいわけではないと認識する
-
多くの場合、相手はあなたに無理をさせてまで期待に応えてほしいとは思っていない
- 価値観の押し付けから自分を守る
-
アドバイスや心配という形で「価値観の押し付け」をされることがある
窮屈さを感じないか確認する。相手が親しい人でも、自分の価値観を最優先にしていい
- 幸せの責任は自分で負う
-
自分が誰かに期待をする時は、相手を「特定の商品を扱うお店」だと考えてみる
相手が提供できるものだけ受け取り、複数の人間関係の中でどこで何を買うかは自分で決める
次回は、期待と関連して、「依存」とはどういう状態なのか、どう対応すればようかについて話したいと思います。



ではまた!
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