「ゆるゆる幸福論」とは、そもそも人は幸せになるために生きている、という前提で、幸せとは何か、幸せになるためにはどうすればいいのかという人生の深~~いテーマについて、私の体験談を交えながらゆるくお話しているコーナーです。
あくまで私の考えなので、一般的な解釈とは違う部分もあるかと思いますが、誰かの心を少しでも軽くできて、幸せを感じていただけたらなと思って書いています。
マスミこんにちは、中小企業診断士のマスミです。
今回は自己承認の続きです。
自己承認と対比して、他者承認(承認欲求)について掘り下げていこうと思います。
前回の記事はこちら


以前の記事を確認したい方はこちらからご覧ください。
幸せの全体像、記事の構成はこうなっています。


そして「感じる幸せ」の構造はこんな感じです。


前回、自己承認について詳しくお話しして、自分で自分を承認することが幸福感につながるとお伝えしました。
では、自己承認ではなく、他者の承認、評価を得ようとすることは良くないのか?それが目的になることもあるのではないか?というような疑問を持った方もいるのではないでしょうか。
今回はそんな疑問についてお話していこうと思います。
ではいってみましょう!
- 自己承認とは
- 他者承認(承認欲求)の正体
- 他者承認の使い方
他者承認を自己承認の条件にすると苦しい
他者承認(承認欲求)とは、他者から認めて欲しいという欲求で、それ自体が悪いものではないです。
評価されたいという思いだけでなく、できる人だと思われたい、愛されたい、などの感情も含まれます。
ただ、「自己承認」の条件を他者から評価されることとしてしまう場合があります。他者から認められたら自分を認める、という考えになっているということです。
これは自己承認にはなっていないんですね。基準が他者にあるので、とても不安定で苦しくなりがちです。
例えば、次のように「私は仕事ができる人でいたい」という目標があったとします。


この時、どうやったら「仕事ができる人」になれるのかを考えます。
自分で自分を「仕事ができる人」だと認められたら幸せですよね。
ただ、どうやったら自分で認められるかと考えた時、他人から評価されたらそう思っていいと他者の評価を条件にしがちです。
これをメインルートにすると、「他者の評価を得ること」が目的になります。
そして、他者への印象を操作し、評価をもらうことだけに意識が向いてしまったりします。
でもそれは自分でコントロールできないから、思い通りにならない場合もありますよね。そうすると苦しくなります。
ではどうしたらいいかというと、自己承認の基準をプロセスにすることです。
自分が思う「仕事ができる人物像」を考え、その人はどんな状態でどんな行動をしているかを考えます。
そしてそれを実行する。
そうすれば、自分が思う「仕事ができる人物像」に向かってコツコツ努力を積み上げていく自分に対し、「自分は仕事ができる人に近づいているんだ」と認めてあげることができます。
そんな行動を全て知るわけもない他人の評価を気にする必要はないですよね。
ですから、他者の承認は、なくてもいいボーナスくらいに思えばいいんです。
たまたま、目についたところを褒めてくれたり、評価をしてくれただけです。
全部知らないじゃないですか。あなたの努力を。
自分の行動を全部知っているのは自分しかいないのだから、自分しか正しく自分を認められないのです。
他者承認を自己価値の土台にすると苦しい
自己承認の条件として他者承認を得ようとすると、不安定で苦しくなりやすいとお伝えしましたが、そもそも自己価値の土台に他者承認を使うこと自体が苦しいんです。
自分の価値は、左の図ように、全て「自己」で構成されていると、安定してすくすくと成長できるようになっています。
しかし、右の図のように「他者」が入り込んで自分の価値の土台にしてしまうと、不安定で苦しくなるんです。
以前の自己受容の話の事例で、私が他人の評価が全てだと思っていたようにです。


なぜこんなことが起こるのかというと、図の通りで、最下層の「無条件の自己肯定」が無いんですね。
無条件の自己肯定とは、自分が何ができるからとか、他人の役に立っているからとか、そういう「条件」を満たしていなくても愛される存在だと認識している状態です。
無条件の自己肯定感についてはこちら↓


それがあると自己受容や自己承認が育ちやすいんです。
無条件の自己肯定がなく、自己受容や自己承認が少ないと、その土台を他者承認で埋めようとするんです。
そうしないと自己価値を認識できないからです。
そのため、他者の意見にすごく影響されたり、他者から評価されるためにどうすればいいかばかり考えたり、とにかく「他者」に意識が向き、他者が自分の価値を決める基準になっていきます。
本来、「他者」は自分でコントロールできないのですが、それをなんとかコントロールしようとエネルギーを使います。
これ、とても疲れますよね。
自分の価値の中に「自己」が無い、もしくはすごく少ない状態はとても不安定です。
そして「他者」承認の上には「自己」肯定感は積み上がらないのです。
ただ、ここで大きな落とし穴があります。
そこそこ能力が高い人ほど他者承認の土台から抜け出しにくいんです。
他者承認を土台にしていると、不安定で崩れます。そこで多くの人は気付くのです。
自分てダメな奴だなとか、自分て大したことないなと。そんな時が早々に来るはずです。
そしてその自分を受け入れるから「自己受容」するんですね。自己受容ができれば自己肯定感は積み上がるので、そこで他者承認がなくても大丈夫になっていくわけです。
そう。気付きましたか?
そこそこ能力が高くてできることが多い人は、他者から褒められたり、評価されることが多いので、他者承認の土台が崩れにくいのです。
だからその土台を崩さないための努力(他者から評価をもらうこと)をし続けます。
私がまさにこれでした。学生の頃、勉強も運動もできて、学級委員や生徒会もやっていて、周りからすごいね!と言われる子供でした。(自分で能力が高い人と言うのもおこがましいですが、過去の事実なのでお許しください笑)
そのため、私は他人の評価をもらえた時に自分を認めていいという考えになっていて、思い通りの評価がもらえなかった時にすごく苦しくなっていました。
そして、前回の自己受容した時の話につながるわけです。
だから、他者承認を自己価値の土台にしておいたままでは、幸せを感じにくいのです。
他者評価(承認欲求)の使い方
最初に、承認欲求とはそれ自体が悪いものではないとお伝えしました。
頑張ったことは他者からも評価してもらいたいと思うのは自然なことです。
ただ、他者承認を自分の存在価値の土台にすると、不安定で苦しくなるから止めた方がラクになるよ、その方が幸せを感じやすくなるよ、ということです。
では、どんな風に他者承認、他者からの評価と付き合えばいいのか。
それは、目標達成の手段や現在地の確認、ボーナスと考えればいいんです。
全ての目的は「幸せ」になることです。ですから、苦しくなければ何の問題もありません。目標や目的にしてもいいでんです。
こんな風に、自己価値は自分で土台を作り、他者の承認や評価は目標やビジョンの達成の手段や現在地の確認として活用するということです。
もし他者の承認がなかったら別の手段をとればいいですし、なくても自分の価値は揺らぎません。


例えば、会社で自分が理想とするサービスをお客様に提供したいという目標があったとします。
そのために、もっと裁量が必要で、もっと上の役職に就けばいいんだと考えたとします。
そして役職を上げるためには自分の評価を上げる必要があると考えました。そうすると、会社での自分の評価を上げることは目的になります。
でもなかなか評価があがらなかったとします。
自分の目指すサービスを提供する方法として、評価を上げて役職を上げること以外の方法はないかと考えればいいですよね。
その会社ではそのやり方ができないのかもしれませんし、そうしたら会社を変えてもいいわけです。
その先の目標やビジョンが最終目的で、それが達成できれば、手段としての他者承認がなくても問題ないですよね。
他人の評価を得ることを手段として使うというのはこんなことです。
それから先ほどお伝えした、自己承認を得るためのメインルートではなく、「ボーナス」という考え方ですね。
過去の私は、他者に映る自分ばかり見ていて、他者の評価がないと存在しないかのような感覚で生きていました。だから、評価されることにすごく執着があったと思います。
でも今は、土台を「自己」で作れるようになったと思うので、他者からの評価は目標や方向性の確認のような感じで受け取っています。
私の目標のひとつには「マスミさんと会えてラッキーだった」と思ってもらえるような診断士になること、というものがあります。
これは事業者さんからの評価ですよね。
そのために私は、誠実な対応をしようとか、全力で支援をしようとか考えて実行しているわけです。
それを言われなかったとしても、自分でそうできていると認識していれば満足です。
そして実際に言われたことがあります。
もちろんすごく嬉しかったです。ただ、存在価値が認められた!ということではなく、私がやっていたことは間違っていなかった、良かったという気持ちが強かったです。
その他にも、仕事のことで評価をいただける時がありますが、いつもそんな感覚です。
私が大事に思って行動してきたことは間違っていなかった、この方向性でいいんだと確認をしている感じです。
土台として使っていないので、承認、評価をもらえていなくても、やることは変わらないです。
私はこれがいいと思ってやっているだけで、その行動ができている自分を認めています。
結果として、他者からも認めてもらったら、これでよかったんだと確認する。そんな流れです。
もちろん良い評価をされたり褒められたりしたら嬉しいので、ぜひ褒めてください笑
他者評価=自己評価でなくていい
他者の評価ではなく、自己承認を基準にすると、他者の評価と自己評価のギャップが出て、自己評価の方が高かった場合、「周りが見えていな人」だと思われないかと心配になることもあるかと思います。
私の場合は、他者評価と自己評価は絶対に一致しないので、別にいいやと思っています。
だって「他者」は1人ではないし、絶対に他者は思っていることを全部に私に伝えてくれないからです。
以前の記事で「ジョハリの窓」について話したことがありますが、まさにこれです。


盲目の窓を恐れる必要はありません。
それが自己受容でもあります。他人しか見えていない自分があると受け入れることです。
ただ、あまりにギャップが大きいと、先ほどの「周りが見えていない人」になり、仕事上でも支障が出たりしますね。
そして、仕事ができると感じる人は自分がどういう人で、他人からどう評価されているかをよく理解していて、それをうまく活用していたりします。
いわゆる「メタ認知力」が高いという状態です。
メタ認知とは、簡単に言うと、俯瞰して自分を見たり状況把握をしたりすることです。
このメタ認知力については、こちらの記事で書いていますが、「自己肯定感」についての理解が不可欠なので先に自己肯定感について読んでいただけると理解しやすいと思います。
結論から言うと、他者の評価と自己評価をできるだけ一致させるには、自己肯定感が必要だということです。
ですので、次回はここまでの話が全てつながる「積上げる自己肯定感」についてお話しようと思います。
まとめ
では今回のまとめです。
- 1.他者承認を「自己承認の条件」にすること苦しい
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他者から認められたいという欲求自体は自然なものですが、「他者から評価されたら自分を認めていい」という自己承認の条件にしてしまうと、苦しくになります。
他者の評価は自分ではコントロールできないからです。
- 2.自己承認の基準を「プロセス」に置く
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自己承認の基準を結果(他者の評価)ではなく、プロセス(自分の行動)に置きます。
自分が理想とする人物像を描き、その像に近づくための行動を積み上げる。
その努力を一番近くで見ている「自分自身」が、自分を認めてあげればいいのです。他者承認は「あれば嬉しいボーナス」程度に捉えましょう。
- 3.自己価値の土台を「自己」で構築する
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自己承認の根底にある「無条件の自己肯定(条件なしに自分を愛すること)」が不足していると、他者承認で自己価値を見たそうとしてしまいます。
まずは他者の承認などなくても、自分という存在に価値がある、愛される価値があると知ってください。
- 4.他者評価(承認欲求)の賢い使い方
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他者の評価は、「自己価値の土台」ではなく、「目標達成の手段」や「現在地の確認」として活用すると、相手の反応に固執しすぎず苦しくならずにいられます。
- 5.他者評価と自己評価のギャップについて
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他者の評価と自己評価が一致しなくても大丈夫です。
他人は自分のすべてを知っているわけではないからです。
ただ、そのギャップはメタ認知力(客観的に自分を見る力)を高めることで埋められます。
次回はいよいよ「感じる幸せ」の中心となる自己肯定感についてです。
これまでの話はこの説明をするためと言っても過言ではありません。ぜひ続きをお楽しみに!



ではまた!
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以前の記事を確認したい方はこちらからご覧ください。







